~ 東進住宅では鎌ヶ谷市の地域密着型賃貸経営を行っています ~
地域に密着することで、入居者からのクレーム対応や建物の定期巡回、オーナー様へのご訪問等をフットワーク良く行うことができます。
鎌ヶ谷市の魅力紹介
◆◆◆鎌ヶ谷市観光スポット◆◆◆
見どころがいっぱいの鎌ヶ谷
- ・鎌ケ谷大仏
- 鎌ケ谷市には、江戸時代に作られた、高さが約1.8メートルの大仏があり、市の指定文化財に指定されています。
木下街道の宿場町「鎌ケ谷宿」の盛時の様子を今に伝える貴重な文化財として親しまれ、近くにある「鎌ケ谷大仏駅」は、全国で唯一「大仏」の名が駅名に付いている駅であり、関東の駅百選に選定されています。
- ・ファイターズ鎌ケ谷スタジアム
- プロ野球球団である北海道日本ハムファイターズのファーム球場として、毎年臨場感あふれる試合と楽しいイベントが多数開催され、多くの人で賑わっています。選手と触れ合える機会も多く、近くでプロ野球選手を見ることが出来ます。これまで、中田翔選手や斎藤佑樹選手、清宮幸太郎選手、吉田輝星選手、また、現在大リーグで活躍しているダルビッシュ有選手や大谷翔平選手などがこの球場で練習し、活躍しています。2019年には、河野 竜生(かわの りゅうせい)選手が入団し、球場はますます盛り上がりを見せています。
- ・朝日山部屋
- 鎌ケ谷市は、県内で4番目となる相撲部屋が開設されています。親方は、元関脇の琴錦。若い力士が多く、未来の横綱を目指して、日々稽古に励んでいます。
- ・鎌ケ谷市民まつり
- 鎌ケ谷市は、毎年10月に「鎌ケ谷市民まつり」を開催し、市内外から多くの人が訪れます。市民まつりには、福島県相馬地方の国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」の騎馬武者を招聘し、その行列は、迫力満点!グルメの祭典「KAMA-1グランプリ」やご当地キャラクターのイベントなども開催され、毎年多くの人で賑わいます。
- ・富士山と東京スカイツリーのコラボレーション!
- 鎌ケ谷市役所の屋上は、市内を広く見渡せることが出来るため、富士山と一緒に東京スカイツリーを展望することが出来ます。冬の時期の夜は、東京スカイツリーのライトアップや市内の夜景を楽しむことができるほか、2月と11月には、富士山の山頂と夕日が重なる「ダイヤモンド富士」を楽しむことができます。また、11月から3月末までは、屋上開放時間を午後5時45分まで延長しています。
公園・史跡
・市制記念公園
正面入り口を入ると蒸気機関車、その後方に飛行機。バッテリーカー(1回100円)でそのまわりを走ることができます。県内各市の樹が植えられている小道の奥にはアスレチック遊具があります。 福太郎野球場や福太郎テニスコート(共に要予約)では、シーズンには市内大会が目白押し。管理事務所の展望台からは、走り抜ける北総鉄道の車両を目の高さで見ることができ鉄道マニアにはたまらない。桜の季節には、開園時間を午後9時まで延長しています。
・貝柄山公園
水鳥の泳ぐ池のまわりは、四季の変化を楽しみながらのお散歩コースに絶好です。休日の多目的広場には、家族連れがいっぱい。
・国史跡下総小金中野牧跡 捕込・野馬土手
鎌ケ谷市には、江戸幕府の軍馬の放牧地「小金牧」を構成していた牧の一つ、「中野牧」がありました。市内には、放飼いにされていた馬を追い込んで捕らえ、選別する施の「捕込(とっこめ)」や、牧と村との境や牧の中を仕切るために作られた「野馬土手(のまどて)」などが残っています。当時の軍馬生産を知るうえで貴重な遺跡のため、平成19年に国史跡に指定されました。毎年4月5月は、「国史跡でまちおこし 春の牧ウマまつり」を開催しています。楽しみながら国史跡下総小金中野牧跡について学べる機会が目白押しです。第1弾「とっこめ桜まつり」(4月第1土曜日)や第4弾「とっこめ塾」(5月第3土曜日)では、捕込の現地見学ができます。
鎌ケ谷市の文化財
佐津間城跡は東側に大津川おおつがわをのぞむ標高25メートルの台地上に築かれており、台地下の集落とは約9メートルの比ひ高こうがある。土塁どるいと空堀からぼりをめぐらせて、周囲を台地から遮断しゃだんして郭くるわを形成する単たん郭かく構造こうぞうの城郭じょうかくである。守備を主体としたようで、四方に張り出した構造の櫓やぐら台だいと、その櫓台を利用した横矢よこや構造こうぞう(注釈1)が確認され、郭の入口となる虎口こぐち(注釈2)の跡も残っている。また、こうした入口が村落側にあることは、城と村落が一体の関係であったことも推定される。城の大きさは堀の外側で東西50メートル、南北76メートル、土塁の内側で東西21メートル、南北35メートルある。周囲には屋敷やしき裏うら、北根郷屋きたねごや、南木戸みなみきどなどの城に関係する小字名も残っている。
築造された時期は戦国時代(16世紀中から後半頃まで)と推定されている。
[注記]
注釈1:侵入する敵を側面から攻撃できる構造。
注釈2:敵の侵入に備えた城の入口。「小口こぐち」とも書く。
【備考】佐津間城跡は私有地であり、見学できる環境が整っていないため、立ち入りはご遠慮ください。
北部公民館から宝泉院に向かう路傍に所在する。密教みっきょうの呪文じゅもんである24字の梵ぼん字じ(古代インドの文字)からなる光明真言を円形に連ね、中央に大日真言だいにちしんごん(注釈1)を配している。また、鮮魚道なまみちの道標みちしるべを兼ねており、正面に「木おろし 成田山道」、右側に「松戸 江戸道」、左側に「粟野 ふなばし道」とある。文久ぶんきゅう4年(1864)の造立である。
なお、鮮魚道は我孫子の布佐ふさから松戸を結んだ道である。銚子で水揚みずあげされた魚を江戸まで運ぶルートにあたるためそう呼ばれた。
[注記]
注釈1:すべての功徳くどくを得るため唱となえられるもの。翻訳ほんやくせず原語のままで唱えられるため梵字で書かれている。
渋谷総司は佐津間出身の討幕勤王とうばくきんのうの志士ししである。赤報隊せきほうたい(新政府軍先鋒隊せんぽうたい)に参加し、年貢半減をかかげて東山道とうざんどうを進軍し活躍した。しかし「偽官軍にせかんぐん」の汚名を着せられ、慶応けいおう4年(1868)、隊長であった相楽総三さがらそうぞうらとともに下諏訪しもすわで斬首ざんしゅされた。この時、総司は22歳であった。
なお、「偽官軍」として処刑された者に対する祭祀さいしは、遺族も世をはばかり思うようにできなかったが、明治3年には処刑された地に「魁さきがけ塚づか」と名付けられた塚が建立された。大正から昭和初期にかけて赤報隊員たちの名誉回復運動が行われ、数度の請願の結果、昭和3年(1928)復権し、贈位を記念してこの碑が建てられた。
◆◆◆鎌ヶ谷市特産品◆◆◆
お土産
・鎌ケ谷手折りめん
「小さな鍋で、1人前からだれでも簡単に作れる本格的な麺を」そんな発想から生まれた、個食タイプのつゆ付き乾麺です。一つ一つ手で折り曲げ、独自の熟成乾燥方法で作り上げた乾麺の逸品です。
・鎌ケ谷梨サイダー
鎌ケ谷産の梨だからできた味わいの極み甘くみずみずしい鎌ケ谷産梨だけの特別な味わい風味豊かな鎌ケ谷産梨を気軽に楽しめるサイダーを実現しました。15%の梨果汁を使用し、キリっと強めの炭酸飲料です。
・かまたんスナック
鎌ケ谷市マスコットキャラクター「かまたん」をあしらったスナック。甘さと塩気が絶妙なコーンポタージュ味で、コーンパフのサクッとかるい食感のスナックです。お子様から大人まで楽しめる商品です。
・かまたん梨カレー(甘口)
鎌ケ谷産の梨をふんだんに取り入れた、カレー。原材料の梨は口あたりの良さを考え、ピューレ状にしました。 そして、お子様からお年寄りまで楽しめる甘口に仕上げた商品です。
伝統工芸品
千葉県指定伝統的工芸品
県内の文化の中で育まれ、または生まれてきた工芸品を地場産業として育成するため、昭和59年度に県指定制度が発足。
1.製造の主要部分が手工業であること
2.伝統的な技術、または技法により製造されていること
3.主たる原材料が、伝統的に使用されていること
4.一定の期間、おおむね10年以上県内で製造されていること。
農産物
・鎌ケ谷の梨
本市の梨生産は、産地としてもその歴史は古く、さかのぼること江戸時代の末から、栽培が始められています。販路についても早くから市場出荷のほか、直売・宅配便の利用が盛んで、なかでも果樹園などでは観光農園としても、県内外から人気を呼んでいます。千葉県の梨は、栽培面積・収穫量ともに全国第1位であり、本市は県内で常に上位を占めています。近年は、味自慢の中でも新たな品種「あきづき」への改植を進めています。あきづきは、農水省果樹試験場で交配育成され、1998年(平成10年)新品種として(農林19号)登録。新高×豊水に幸水を掛け合わせたもので、9月中旬から下旬頃に収穫できる果皮が黄赤褐色の赤梨。500グラム程度の大果で糖度が13から14度ほどと甘く、酸味も少なく肉質の柔らかいフルーティーな食味で、日持ちも2週間ほどと長いことが特徴であり、新品種として普及が期待されます。
◆◆◆鎌ヶ谷市お祭り・イベント◆◆◆
相馬野馬追
・相馬野馬追は、福島県浜通り北部で毎年7月に行われている神事および祭りで、国の重要無形民俗文化財に指定されています。伝説では、その始まりが「相馬氏の祖である平将門(たいらのまさかど)が下総国小金原(こがねはら)に野馬を放ち敵と見立ててこれを追ったことに始まる」とされています。鎌ケ谷は、国史跡に指定されている「下総小金中野牧跡(しもうさこがねなかのまきあと)」があるように、小金原と呼ばれていた地です。また、相馬藩主を務めた相馬氏のルーツは、鎌倉時代に鎌ケ谷市域の北部を含む「相馬御厨(そうまみくりや)」と呼ばれる荘園を、下総守護千葉常胤(つねたね)の次男師常(もろつね)が相続して「相馬」を名乗り、その後に本拠地を福島県の行方(なめかた)郡(現在の南相馬市)に移したことに始まります。 野馬追行事もこの時引き継がれたとされています。鎌ケ谷の地の相馬氏の支配は、南北朝時代頃には失われてしまいましたが、鎌ケ谷でも江戸時代には、幕府の牧場が設けられ、「野馬捕り」が行われるなど、「馬」を通じた歴史的な縁と共通点があります。鎌ケ谷市民まつり実行委員会では、この「相馬野馬追」を平成25年の第39回鎌ケ谷市民まつりで招聘し、以降6回にわたり、鎌ケ谷市内で騎馬武者行列を行っています。
KAMA-1グランプリ
・鎌ケ谷の食の祭典!
ご当地キャラクターイベント
・ご当地キャラクターによるステージイベントやキャラクターに関するブースなど